論争が真剣だという事は否定しません。
しかしやり過ぎると、害の方が目立って来るものです
「二人のそれぞれのファンが遣り合う」は、多分、
19世紀のブルックナーの一部ファンとブラームスの一部ファン、
21世紀の指原莉乃さんの一部ファンと渡辺麻友さんの一部ファンにも、
(もちろん違う所も多々ありますが)一部は似た構図があるのでは、と。
おことわり
最初に断っておきますが、私はクラシックは好きで広く薄く何でも聴きますが、専門家でも無ければ評論家でもありません。
なので「お前のブラームス、ブルックナーの理解は間違っている」と思われるかもしれませんが、すみません、と最初に謝っておきます。
アイドルに至っては、2018年まで、私は芸能界全体にほぼ興味ありませんでした。
今でもその頃の感覚はあり、芸能人に「さん」付けすることに違和感が拭えません。
指原莉乃さんのことは10年近く前だったかと思いますが、漫画雑誌のグラビアで見て、「うわ、誰だこのかわいい美人!」と思ったのが最初の認知でした。
(その後、指原さんが「それほど美人では無い」扱いされているのを知って不思議に思ったものです)
渡辺麻友さんに至っては、今でもよく存じません。
これは渡辺さんファンにお詫びしないといけませんが…私は2018年まで、知っている芸能人は
1、マンガ雑誌のグラビアで印象に残ったか、
2、刑事ドラマに出ているか、
3、クイズ番組に出ているか、
のいずれかでした。
AKBGで私が認知していたのは、1が指原さんと山本彩さん。3が大家志津香さんです。そこにたまたま、渡辺さんは引っ掛かって来なかったという事になります。
これから書く事は
「クラシック音楽を幅広く日常的に聴いているけど、その評論家畑からは距離を置いている人間」
としてのものです。
ブラームスとブルックナー(のファン)の論争
面倒なので私は専門家でもありませんし、あまり正確さが要求される場でも無いので、ウィキペディアから引用します(一部、改行しています)。
ワーグナーの影響を受けたアントン・ブルックナーとも、しばしば衝突した(ブラームスは、ブルックナーの交響曲を「交響的大蛇」と貶している)。ブラームスはオルガニストとしてのブルックナーは高く評価していたが、ブラームスの支持者である評論家のエドゥアルト・ハンスリックとブルックナー支持者との間に論争が起こったので、勢い作曲家としては認めることが出来なかった。
それでも、同じウィーンに住む者同士の反目は良くないと間に立つ人がいて、両者はブラームス行き付けの「赤いはりねずみ」で会食した。
このとき、2人とも肉団子が好物だったことがわかり、打ち解けた雰囲気となった。そのときのブルックナーの言葉は「ブラームス博士!この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」。
1896年のブルックナーの葬儀でブラームスは会場の扉にたたずんでいた。中に入るよう促されたが、「次はわしが棺桶に入るよ」と寂しそうにつぶやいたという。
ブラームスとブルックナーの関係については、ウィキペディアではブルックナーの記事の方が詳しく述べられていますが
詳細には触れませんが
二人は確かにスタイルの違う大作曲家でした。
ゆえに論争にもなり、当人達も仲が良かったかと言えば、必ずしもそうでもなかった。
それでも当人達は互いの実力は認め、会食もした事もあった。
ブルックナーの葬儀では、柱の陰でブラームスが泣いているのが目撃されたとも伝えられています。
ただ、その当時、「二人当人達よりも、ファン同士の論争の方が過熱していた」ようです。
指原莉乃さんと渡辺麻友さん(のファン)の論争
指原莉乃さんと渡辺麻友さんの、それぞれのファンの論争というものを、私は2019年後半頃だったかに知ったと記憶しています。
その時は、すみません、正直言って、
「これはまた、よく分からない論争だな」
というのが偽らざる感想でした。
今でもよく分かっていません()。
でもたぶんですね
「ブラームスファン一部とブルックナーファン一部の当時の論争」
に抱く、クラシックファンではない人達の視線と
に抱く、アイドルヲタではない人達の視線
相似していると思うんです。
お二人が「ファンの過激派同士が白熱している」ほどには不仲では無い事も相俟って。
論争の真剣さは否定しません
ブラームスファンとブルックナーファンの論争を思い出した時、私は「指原ファンと渡辺ファンの論争」にも、逆にそれなりに尊重する気が出ました。
外部の者には分からずとも、当人達には至って真剣な論争なのでしょう。
考えてみれば、クラシック音楽の方が、現代でもその種の論争はやかましい所があるかもしれません。
「カラヤンを肯定するか、批判するか」
「アバドを肯定するか、批判するか」
指揮者の評価だけで、頭に血が上って議論する人は本当に山ほどいます。
例えば小澤征爾も、クラシックファンでも無い人達には最も知られた日本人指揮者ですが、人によって評価が物凄く分れます。
ちなみに私の周囲のクラシックファンの間では、小澤征爾を好きな人に会った事がありません。
クラシック音楽ファンが、「アイドルヲタク界隈って、変な論争があるんだな」と言ったら、ブーメランも良い所というわけです。
外部から分からない論争という客観視
まあしかし、クラシック音楽を普段聞いていない人を、指揮者論争に巻き込んだら、ウザい人扱いされますよね。
「この曲いいよね~」
とYOUTUBEのリンクを貼ってるツイートに、
「その指揮者は邪道だ。こちらの指揮者の方がスタンダードな演奏だし、自分の好みで言えば」
なんて議論吹っかけたら、ウザ略。
指原さんファン一部と渡辺さんファン一部の白熱した論争も、外部からは
(クラシックファンではない人にとっての)指揮者の是非論争
に見えている、という事は、指摘したいと思います。
最後は月並みな意見ですが…
真剣な議論は芸術につきもので、それは良いのですが、熱くなり過ぎは良く無いですよね。
「アイドルとは何か」
「アイドルはどうあって欲しいか」
みたいな議論をする時、外部からはどういう風に見えているかは…
クラシック音楽ファンではないアイドルファンの皆さんには、
「指揮者論争みたいに見えている」
と説明して、ちょっぴり水を差したいなと思った、そんな日々です。