NGT48をみるブログ「三鶴の黄昏と黎明」

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裁判資料を私があまり使わない理由

niigata-2018jiken.memo.wiki

最初にお断りさせて頂くが、あのNGT48茶番民事裁判の資料を調べていらっしゃる皆さま(例えば平山教授、宅建太郎さんほか)の労力と成果を否定しているわけでは全く無い。

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膨大な分量ゆえ誠に申し訳ないながら全部は把握出来ていないが、大変参考にさせて頂いているし、その労力と勇気には深謝し、敬意を持っている。

ツイッターで拝見している裁判資料の情報には(全部では多分無いが)ある程度は目を通しているし、それらと矛盾する考察はNGT48事件史サイトでも、ツイッターでも、書いていないつもりである。

 

それでも「NGT48事件史」はじめ、ツイッターでもブログでも、私は裁判資料をあまり活用していない。

その理由は大きく分けて4つある。以下、その理由4つと、例外を述べさせて頂く。

大事な事なので繰り返すが、裁判資料を閲覧し、それを元に考察なさっている皆さまには、深く感謝し尊敬申し上げ、参考にさせて頂いている。ありがとうございます。

決して裁判資料とその調査に価値がないと思っているわけではない事を、本稿冒頭で強調させて頂く。

1 目的に対する、メリットとリスクのバランス

私の目標は大きく分ければ4つある。

  • 【目標1】山口真帆さんと仲間達(長谷川玲奈さん・菅原りこさん、他、後述する現・元NGT48メンバー)の安全と将来の確保。
  • 【目標2】山口真帆さんの名誉を守る。
  • 【目標3】NGT48メンバー達(疑惑・沈黙メンバーまで含めて)の安全の確保。
  • 【目標4】ヴァーナロッサム(旧AKS)、Sproot(スプルート)傘下のアイドル達の安全の確保。

mitsuru-kux.jugem.jp

例えば「真相を究明して社会正義を実現する」といった抽象的目標は掲げていない。
また「悪徳企業に懲罰を」といった目標も無い(そう見える言動もあるかもしれないが、それが目的なら私はもっと別の手を打っている)。

抽象的目標・懲罰的目標をなぜ掲げていないのかについて詳述すると、それだけで1000字は超えるので今回は書かないが、とにかく私の主要目標は上に掲げた4つである。

最近、
>【付属方針4】疑惑メンバー・沈黙メンバーではない、メンバー(1期生約4分の3と、D3・2期生達)の名誉を守る。
の項目で、

>この方針4の対象となる事が最も多くなるのは、最も中傷を受ける事の多い中井りかさんになります。それは中井りかさんに対する中傷件数の多さが主因であり、必ずしも三鶴の好意が主因ではありません(ただし好意が影響する事を否定はしません)。

を加筆したが、それは

>この付属方針4は、目標2の「山口真帆さんの名誉を守る」が前提条件です。付属方針4のために目標2を曲げることはしません(そもそもそれは不可能です)。

である。

 

こうした目的・目標の達成には、

「真相究明」

は、必ずしも必要無い。

三者委員会報告書レベルの「ここまでは分かっているし、弁護士が責任を持って書いた」という描写で、ほぼほぼ達成できる。

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本来は、再発防止策というのは完全に近い真相究明が不可欠であるが、少なくとも第三者委員会が

などと指摘していることで、山口真帆さんの名誉は問題無く守られる。
そもそも山口真帆さんを陰謀論で攻撃し続けるNGT48ファン一部過激派が居るのが信じがたい問題である。

 

三者委員会が勧告した、

  • 取締役会の体制を整えよ
  • 役職者の権限を明瞭にせよ
  • マネージャーを教育せよ
  • メンバーを教育せよ
  • 緊急連絡体制を整えよ
  • 防犯体制を改善せよ

といった内容も、完全であるかは疑問であるにせよ、実際に実行すれば、事件の再発防止にはかなりの程度寄与すると思われる。

私のNGT48暴行事件にかかる言論は、ほぼ第三者委員会報告書がベースであり、これを補強する形で

  • 法人登記簿謄本
  • マスコミ記事
  • メンバーの公開発信

を使っている。

目的に比して、検証可能性が困難な(2番で後述する)裁判資料まで用いる必要性が薄い。

茶番裁判資料を使うと、将来何らかの形で訴訟を当方が提起される可能性を視野に入れた場合、
「摘示した名誉毀損事実が,「真実」だと思ったことに相当である場合に,損害賠償等を免責するための要件」である真実相当性を示すのに、労力が要る。

溝上法律特許事務所<大阪>「SNSにおける名誉毀損」:今後多くなると思われる法的紛争類型[1]

もちろん、真実相当性を示せないというわけではない。
しかし謄写できない裁判資料を引用するなどして拡散した場合、わずかでも誤りが含まれていると、リスクは増える。
「謄写できない(コピーできない)」というのが大きな障害である。
リスクを負うことで増やせるメリットが、多く無いと判断している。

 

また、私はツイッターだけでなく、ブログ、wikiサイトなどで、「広い層への拡散と、デマの防止」を狙っている。
拡散力に応じて、問われる責任やリスクも当然大きくなる。

「公的な公開情報の拡散を図り、デマを防止する」のが、現在の私の基本戦略である。

 

もちろん、私のように「薄く広くの拡散を戦略としている」わけではない、真相究明を目的として動いている方が、訴訟資料を基に考察をなさるのは大いに意味あることである。
私もそれらの資料と矛盾しない内容をNGT48事件史において目指しているし、訴訟資料を使って考察されておいでの皆様には感謝している。
そのことは改めてここでも申し上げたい。
ありがとうございます。

 

2 検証可能性の度合い

ウィキペディアに「検証可能性」という方針がある。

Wikipedia:検証可能性 - Wikipedia

例えば査読を経た学術論文X(著者:A)は出典として使える。
だが学術論文Xを書いたAにBが電話したら、「実はXに書いたことは今は間違いだと思っている」とAがBに語っても、Bはそれをウィキペディアには書けない。
なぜなら「AがBに本当にそう語ったのかどうか」という事も、Aが本当にそう思って居るのかというのも、他の人が検証できないからである。

 

もちろんNGT48事件史は学術誌でもないしウィキペディアでもない。
だが「他の人が比較的簡単にアクセスできる文書・録音・録画で論証できる範囲」でだけ書くようにしている。

 

何故かと言えば、私が「裁判所に行って、見た資料に、かくかくしかじかと書いてありました」と述べても、その真実性を保証するものが何も無い。

 

例えば宅建太郎さんであれば、あれだけ顔を出して覚悟を決めていらっしゃる方だから、「0からの嘘をつくとは考えられない」という信用を作り出す事はできる。

また、平山朝治教授についても、名前と肩書きを表に出して書いている上に、筑波大学教授の権威もあるから、これも「高い確度で訴訟資料にそう書いてあるのだろう」と考え得る。

 

私の場合、そうした事情が無い。
「三鶴が嘘出鱈目を言っているのでは」
あるいは
「コピーしてるわけじゃないし、記憶が間違って居るのでは」
と言われたら、それでおしまいである。

だから私は、「簡単にアクセスできる文書」ではない訴訟資料を使っていない。
というより使えないのである。

 

3 体力的問題

1と2は、「NGT48事件史で訴訟資料をあまり使わない」の理由であるが

訴訟資料を「見てもいない」理由としては、実はこの3が一番大きい。

 

私はタイピングだけはおそらく並のSE程度のスピードはある。
それで大量の文章を打ち込んでいるゆえに「結構な健康体」と思われているかもしれないが

事実は全く異なる。
時々述べているが、低血圧、低体温、低体重で、様々な疾患を抱えている。
命の危険はとりあえず無いが、体力はそう無い。

 

タイピングにしても、全盛期はこの3倍位のスピードで打ち込めていた。
NGT48事件史にしても「元気なら3倍は書けていた筈なのに」と日々思っている。

 

元気な頃なら、夜行バスにでも乗って、事件露見直後に新潟に実地調査に行っていたと思う。
というより今も、NGT48劇場には行きたい。

 

しかしようやく最近、「行ける…かな…」と思えるくらいに回復してきたが…
長旅などとてもではないが考えられない、というのが、つい最近までの私の実状であった。

 

東京から新潟など、国内旅行としては「近場」の部類であるが、それすら2021年までの私の体力では難しかった。
なので「三鶴はこれだけ考えて書いて居るのに、なぜ新潟地裁に訴訟資料を見に行かないのか」と言われたら、
「体力面で行けませんでした…」
が、直接的理由である。

 

4 信用

裁判所に行けば署名捺印を求められる。

我が国の公務員は基本的に世界的にも優秀で、汚職も少ない。

だが情報保全に関してだけは本当に心許ない。

裁判所で全身を晒して防犯カメラに撮られて、「資料を閲覧に来た」人間の署名と捺印を残すのに、正直躊躇がある。

 

上記1と2の理由で、そもそもあまり「私は」使わない方針・使えないものを、自身の目で読む必要があるかどうか。
新潟に仮に行けたとしても、その際に地裁で資料を読むかどうかは考え中である。

 

繰り返すが、それは「訴訟資料に意味が無い」と考えて居るわけではない。
ただ「私が、私の目的のためには」殆ど使えないのに、閲覧が必要かどうか、と悩んでいるところである。


例外

本来、学術論文などでは良くない「孫引き」になるが

マスコミや、平山朝治教授が「訴訟資料にはこうある」と述べたものについては、ごく僅かだが利用させて頂いている。
ただし私は平山教授の提訴は支持しているものの、論説の内容とは若干距離を置いている。

それは2の「検証可能性」をクリアするからである。

「三鶴が見てきました」<「平山教授が閲覧し、論説で述べた訴訟資料の情報」

この検証可能性と信用性の不等号は硬い。

この場合は、むしろ「孫引きしかできない」という事になる。

 

まとめ

以上が、私が茶番民事訴訟の訴訟資料を、殆ど使わない理由と、例外である。

4で述べた通り、これからも、閲覧に行くかどうかは考え中である(どちらかというと正直消極的である)。


何度も繰り返すが、訴訟資料を使って考究されておいでの皆様には、深く感謝し、尊敬し、参考にさせて頂いている事を、最後にもう一度お断りさせて頂く。
ありがとうございます。