NGT48暴行事件において「責任」と言う時、責任主体を細かく分けて考える必要があります。
本ブログでは、「100%分かっていること」「100%とは言わないが、極めて高い蓋然性でハッキリしていること」の範囲だけで、NGT48暴行事件の責任を整理します。
全部細かく書こうとすると1万字とか平気で超えそうなので、今回は最低限の整理にとどめます。
NGT48暴行事件ってどんな事件だったけ、という方は下記漫画を御覧下さい。
また、「暴行事件は山口真帆の痴話喧嘩だ」などという陰謀論は論外です。
未だに「暴行の態様」自体がごく一部で議論になるのは驚かされます。
責任主体
犯人
当然犯人が一番悪いです(山田野絵さんも仰っている通りです)。
犯人が襲撃しなければこのような事にはなっていませんでした。
たとえ話をすれば、「ガソリンが違法に放置されていた建物に放火された大火事」です。
背景には様々な素地があり、その素地を作り出した者達にも責任はありますが、最終的に火をつけたのは犯人です。
「そこにガソリンがあったから、放火魔ではなく、ガソリンを置いていた人が一番悪い」とはなりません。
もちろんガソリンの取り扱い者も管理状態によっては責任を問われるわけですが。
放火魔が一番悪いのです。
この喩え話でいけば、以下、「運営」以降は、
- ガソリンを置いていたかどうか(あったら誰が置いたのか)
- 今でもそのガソリンはあるのか
- 今の火気の取り扱いは適切なのか
という話になります。
なお、運営は火に油を注ぎ続けましたが…
運営
ここで「運営」と言う場合、
をまとめて述べています。
運営の責任は色々なものがありますが、ハッキリ分かっている事だけでも
- 過去の未解決事件の解決に対する姿勢が不十分であった(第三者委員会も松村匠もそう述べています)
- 事件現場で、厄介なマネージャーは、警察に対して犯人の代弁を行い、山口真帆さんの味方に立たなかった
- 社内調査を山口真帆さんが被害を受けた事件でも碌に行わなかった
- ステージで被害者に謝罪を強要した
- 第三者委員会報告書のあの内容を見ても、新たな証拠が出ても「全員不問」とした
- 代表取締役吉成夏子社長が、被害者を「会社に対する加害者」呼ばわりし、被害者を敵視して行動した
- 被害者を裁判に呼ばず、協力も仰がず、暴行犯に民事裁判を起こしネガキャンを行い、茶番和解で終結させた
- 箝口令を布き、メンバーと卒業生メンバーの交流を事実上禁止した(被害者を敵視する運営に「再発防止」など期待できない)
色々山ほどありますが、現時点思いつくものは以上のリストです。
検察(新潟地検)
「女性を、自宅玄関で襲撃する、しかも女性の向かいの部屋を確保してまで襲撃する男二人」を不起訴処分にしてしまった新潟地検には、大きな疑問符がつきます。
新潟地検が起訴して白黒つけていれば、ここまで話はこじれませんでした。
私は「確定している範囲では」メンバーよりも新潟地検の責任の方を重く見ています。
一方、それが「制度的に類例を考えてもあるある」なのだとしたら、新潟地検のみの問題ではなく、我が国司法制度全体の大問題であると言えます。
警察(新潟県警)
新潟県警が十分に捜査を尽くしたのかは、疑問符はつきます。
通信記録の捜査という点では、ハッキングに対する脆弱さを示したり、SDカードを紛失する失態を犯している新潟県警が、どれほど捜査に実力を発揮していたか、不安を禁じ得ません。
- 新潟県警に不正アクセス 神奈川県警への爆破予告を投稿:朝日新聞デジタル
- 新潟県警HPへ不正アクセス、爆破予告など書き込まれる改ざん被害|サイバーセキュリティ.com
- 取調室で事故画像約800枚が記録されたSDカードを紛失|新潟県警三条署|サイバーセキュリティ.com
ただ、「現時点でも、SOS47にNGT48は相応しく無い」と判断する根拠を、大項目だけで9項目列挙して警察庁に述べるくらいには、捜査は尽くしていた様子です。
メンバー
…実は「メンバーがやった悪い事」で「明白な事」は多くありません。
メンバーがやった「良い事」は、リストアップが可能ですが。
メンバーがやった明白に良く無い事
私は現時点、「明白にメンバーがやった良く無い事」は、
の二つだと考えています。両者とも、それなりに相応の社会的制裁を受け、後者の加藤氏については降格と言う処分を受けています。
霧の中にあるメンバーの責任範囲
では、他にメンバーの責任は無いのでしょうか?
結論から言えば「ゼロ」とは言えないと私は考えています。
ただ想定できる責任の極小と極大の差が大き過ぎるため、あまり触れていないというのが現状です。
丙とのつながり・被疑者らとの接触
暴行犯と、NGT48一部メンバーのつながりについては、第三者委員会が認定しています。
しかも暴行犯グループの一人である「丙」については、
丙と複数回個別に会っていたメンバーがいること(第三者委員会報告書、21ページ)
については、第三者委員会も断言しています。
第三者委員会は
とも述べています。
「甲・乙・丙」と呼ばれる暴行犯グループは見るからに半グレ、そこまで行かずとも不良です。
うち一人は山口真帆さんに対してときマラソンの時もつきまといを繰り返していた事でも知られた人物でした(まいじつ)。
そのようなグループの一員と「複数回会う」事自体に、相応の釈明は求められるべきでしょう。
これは、一部メンバーの責任を極小に限定しようとした場合でも、発生する責任です。
教唆・そそめかしの有無
山口真帆さんは「あるメンバーは私の家に行けと犯人をそそめかしていました」と述べていました。
「そそのかす」ではなく「そそめく」という言葉があります。
例えば
「あいつを襲ってくれよ」
と暴行犯に言うのは「そそのかし」「教唆」に当たりますが
「あいつ気に入らないんだよな、誰か何とかしてくれないかな」
と暴行犯に言うのは「そそのかし」「教唆」に当たるかは微妙です。
山口さんの「そそめかしていました」との表現は、その辺りの微妙な話を反映している可能性があります。
仮に「そそめかしていた」メンバーが居たとすれば、「教唆」として刑事責任は問われないにしても、小さく無い民事の責任(山口真帆さんの安全を脅かし、精神的苦痛を与えた)や、大きな道義的責任は発生し得ます。
向かいの部屋
向かいの部屋は、Bが住んでいた部屋でした。
この部屋の契約状況がどういうものであったかが重要です。
Bから犯人に契約者が変わったのか。
運営から犯人に契約者が変わったのか。
前者ならBの責任はかなり大きなものになります。
後者なら運営の責任がかなり大きなものになります。
「たまたま空室情報を犯人達が掴んだ」という線は、ほぼ有り得ないというのが、専門家から出されている見解です(ただし本当にたまたま空室情報を掴んだ、というのが100%有り得ない、わけではない事には注意は必要です)。
メンバーが運営からつながりを推奨か強制かされていた可能性
仮に運営が「手段を選ばず上客とつながって金を引っ張る事を、メンバーに推奨もしくは黙認していた」場合、メンバーの責任は、運営からの強制・推奨の度合いに反比例して小さくなります。
逆に運営の責任は膨れ上がります。
風紀と自覚
全メンバーの自覚が風紀の維持に関して低かった、と言えるかどうか。
私はそこは慎重に考えています。
もし自覚・意識が低かったら、運営の猛烈な箝口令の中、様々なメンバーが言葉は発するに至るか…私は考え難いと思っています。
NGT48の安心安全7と、その他のメンバー達 - NGT48事件史(NGT48暴行事件ほか)
まとめ(メンバー)
- そそめかしがあったか、その場合、誰がそそめかしをしたのか。それとも無かったのか。
- 向かいの部屋の受け渡しを一部メンバーが個人的に行ったか
- 一部メンバーと被疑者らとのつながりの度合い
- 運営が、一部メンバーと被疑者らとのつながりを、一部メンバーに強制・推奨・黙認していたのか
組合せによって、メンバーの責任は極大から極小まで様々に有り得ます。
様々な組み合わせが考えられますから、私は「メンバーの責任は小さい」と断言できません。
私がメンバーの責任論を殆ど述べないのは、そのグレーゾーンが大き過ぎるからです。
かと言って「ゼロです」とも言えないのは、既述の通りです。
こうした事情から、私は「黒メンバー」「白メンバー」といった、善悪二元論、白黒二元論に陥らせがちな用語を使っていません。
NGT48外道一部ファン
「人望民」などとネットでは通称される、NGT48の一部過激派ファン(卒業した荻野由佳氏のファンを含む)が居ます。
3年半もの間、「事件は山口真帆によるでっち上げか、勘違いか、大した事無いのに大騒ぎしただけw」と、陰謀論・誹謗中傷をばら撒き続けている一団です。
彼らは毎日(本当に毎日)事件被害者である山口真帆さんを誹謗中傷し続け、事件の解決どころか、風化すら妨げています(頭目格の「リュウタ」は、「風化を望んでいない」と明言しました)。
詳細は下記を御覧くだいさい。
第三者委員会
第三者委員会報告書は、私は多用しています。
していますが、第三者委員会が十分な仕事をしたとは思って居ません。
その事はNGT48事件史で下記の二つにまとめています。
事件現場で犯人の言い分を代弁していた怪しいスタッフや、取締役会が2018年12月から2019年2月まで何をやっていたかを掘っていないなど、本来やるべき調査をやっていないか、その結果を書いていないか、委員会の不足は、当然批判に値します。
評論家・マスコミ
一部評論家やマスコミは、「大した事ねーじゃんw」と飲酒しながら動画を配信したり、スポニチ写メ会デマを発したりしました。
こうした人々が、NGT48暴行事件の解決を遠のかせた責任は、小さくありません。
秋元康、ほか
このほか、秋元康の責任も問われますが、上に比べれば大きく無いものと今の所は考えています。
ただし秋元康の責任論を議論するのは無駄ではありませんし、議論されるべきものとも思います。
あくまで「NGT48暴行事件においては、上記の主体に比べれば」、責任は「相対的には」大きく無い、という事です。
詳細は下記をご参照下さい。
まとめ
以上、
の順に、責任を分類しました。
同文で繰り返しますが、
私がメンバーの責任論を殆ど述べないのは、そのグレーゾーンが大き過ぎるからです。
かと言って「ゼロです」とも言えないのは、既述の通りです。
今回は以上です。